7月27日に、厚労省から「2016年簡易生命表」が公表されたのに伴い、健康寿命との差を計算していたシンクタンクの記事があった。
[参考:外部リンク]2016年健康寿命は延びたが、平均寿命との差は縮まっていない~2016年試算における平均寿命と健康寿命の差
健康寿命と平均寿命のギャップは、男性で約9年、女性で12年。人生の最後の10年は、誰もが病気や障害とともに生きている、ということになる。
長く元気でいられることは素晴らしいことだし、健康寿命を延ばすための努力は必要だと思う。しかし、健康寿命が伸びれば、平均寿命も伸びるということをデータは示している。突然死などの特殊なケースを除けば、健康寿命と平均寿命のギャップを劇的に短縮することはできない。
これを見て私は改めて、大切なのは、健康寿命を迎えても、自分の選択した生活が継続できる地域環境を作ること、そしてコミュニティとのつながりを維持できることだとの意を強くした。
たとえ病気や障害があっても、人生が充実していると言えるなら、健康寿命にこだわる必要もなくなる。
私見だが、医療を提供する側、医療者として考えた時、今後、健康寿命を延ばす試みと同じように重要になるのが、高齢者に最適化した医療だと考えている。最適化を進めることで、結果的に医療費の伸びの抑制につながるのではないか。
●高齢者の疾病に対する考え方の変更
高齢者の疾病の多くは治りにくいが、それらの多くは老化の1つの表現形であると考えてもよいのではないか。慢性疾患として治療することと、老化として自然の経過を追うことで、どの程度の健康寿命・平均寿命の差が生じるのか、まずはきちんと評価したほうがよい。
高血圧、糖尿病ともに治療目標の設定はゆるやかになっているし、脂質代謝異常症については治療したほうが死亡のリスクが上昇する可能性もある。少なくとも生活習慣病の治療は、長期的な合併症の予防が主たる目的なので、高齢者の治療の適応については、一度きちんと評価すべき。●高齢者の入院、あるいは入院の長期化を積極的に防いでいく
高齢者医療費の大部分は入院医療費であるので、ここにメスを入れていくことが重要と考えている。
①誤嚥性肺炎や骨折などによる急変・入院を防ぐための予防的な介入をしっかりと行うこと。
②入院が必要な場合は、入院時に治療のゴールを設定し、入院が長期化しないよう留意すること。
③人生の最終段階が近づいてきたら、どこまでの変化を治療対象とするのかをきちんと考え、老衰のプロセス全体を漫然と治療し続けないこと。
もちろん、医療を受ける側の理解、納得が大前提であることは言うまでもない。自分のことを自分でできない人を支えるというのは、公的保険の本来の役割であり、また生きていたいという思いは人間の本質的な欲求だ。それを可能にする社会を目指さなければならないとも思う。一方で、望まぬ医療やケアを受けながら、本人の意思に反して生かされている、というケースも存在している。
大切なことは、自分の責任で自分の人生を選択する、ということではないだろうか。
残念ながら財源は有限であり、公的システムだけですべてを支えていくという前提は成り立たない。財源をどう分配していくのか、国民的議論を経る必要がある。そして、これが喫緊の課題であるということを政治的リーダーはきちんと国民に説明してほしいと思う。
一方で、地域に眠るリソースの有効活用で、公的保険が投入されている領域を支えられるポテンシャルも大きい。支える側か、支えられる側かを完全に切り分けて考えるのではなく、境界をもう少し緩やかにできるのではないかとも、個人的には思っている。
平均寿命の伸びを素直に喜べる社会であってほしいと思う。